乃木神社

乃木坂にあります。
 

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乃木希典 のぎ まれすけ  死後、神格化された 旅順要塞攻略の司令官であった。
嘉永2年(1849) 江戸市中の長州藩邸にて生を受け、10歳までここで育った。
その後、帰国して、16歳までは実家で暮らし、ほどなく家を出て、弟の養父であった玉木文之進のもとから、藩校に通った。
慶応2年の幕府軍による第2次長州征伐の際には、藩士で構成された報国隊に志願し、18歳で初陣を飾る。
 

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明治4年に、陸軍少佐に任官。
明治9年の秋月の乱に出動、これを鎮圧したが、続いて起こった萩の乱で、実の弟が戦死。このことに責任を感じた義父であり、師でもあった玉木文之進も、自害をもって謝罪した。
 
西南戦争では、鹿児島軍との乱戦の中、退却中に軍旗を失うとゆう大失態を演じてしまった。
乃木の軍人としてのふるまいは、清廉潔白なものではあるが、政治的な駆け引きなどには疎かった。
 
旅順没落後の降伏文書を交わした水師営の会見における敵側の司令官、ステッセル将軍に対する礼節溢れた態度は、日本軍人の美徳とされ、凱旋帰京したときには、一躍時の人となった。
 
ステッセルは、ロシア皇帝から銃殺刑を宣告されたのを知ると、乃木はすぐにロシア皇帝に手紙を送り、処刑のとりやめを懇願した。
この手紙によってかどうかはわからないが、処刑は中止され、シベリアに流刑となった。
そして残されステッセルの家族に、自分が死ぬまで生活費を送り続けていた。
なんだか素敵生き方だな。。。
 
 

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神社のお隣には、ご自宅がありました。 
 

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中にははいれないが、窓越しに中が見られました。
知人に伺った話では、9月には中に入れるようです。

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なかなか好みの、お住まいです。
こんな山小屋に住んで、毎日本を読むのもいいかもしれません。
 
 

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奥様は、静子。 鹿児島藩医の子として生まれた。
乃木と結婚して、2人の息子をもうけた。
 

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ロシアとの戦いがはじまると、2人の息子も従軍した。しかし、第1の悲報は早くにもたらされた。
長男の戦死である。
乃木は留守を預けた妻に電報をうった。
 
カツスケ メイヨノセンシ マンゾクス ヨロコベ   イサイフ マレスケ
 
続けてだした手紙には、親子3人の柩が揃うまで葬式をだしてはならないと記した。
 
 

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以前、私が看護師として働いていた時、夜勤中に80歳代の女性と、お話しした夜があった。
 
急に、「あなたは若いから、ジュウゴの教えなんて知らないでしょねぇ。」
 
『えっ!? 十五の教え?』 私は15個の、教訓があるのかと思った。
 
違った。
 
銃後であった。
 
戦地に男の人を送り出した時の、女性のたしなみとゆうか、心構えみたいなものであった。
 
この頃、唯一無二と愛した男を送り出した1年目。さみしくて、さみしくて、仕方ない頃。
この夜の、彼女が教えてくださったことがなければ、私は頑張ってこれなかったであろう。
 
今でも思う。なぜあの時に彼女はあんな話を私にしたのだろうか?
 

 

 
 
静子の苦難は、これだけではなかった。
夫の旅順攻略は思うように進まず、第3軍は数多くの戦死者をだした。
すると、家にむかって「乃木のバカヤロウ!」 「兵隊を片っ端から殺しやがって!」 「さっさと腹を切れ!」 などの罵声、石を投げられたり・・・。
静子は人目につかないように家を出て、伊勢神宮へ参拝にいった。
 
そして、残った次男も戦死。
 
 
 
明治天皇崩御したのは、日露戦争終結から7年後。
夫、希典に従い自決した。
辞世の句は、「出でましてかへります日のなしときく けふの御幸(みゆき)に逢うぞかなしき」
 
 
白木綿の襦袢の上に、白い麻布を着け、更にその上につるばみ色のコウチギを羽織って、紺子色の袴をはき、死骸が乱れぬように、膝をくくって正座。
剣で3度胸をつき、4度目に希典の介錯をうけて、ようやく絶命したらしい。
 
 
 
 
「ゴルフはマナーだよ。」
 
誰かが言ったのを思い出す。
いかに紳士面した方でも、勝とうと思って、意外な本性が出てしまうものである。
女性も同じだよ。
 
凛とした女性になりたいと思った。